奈保子様は歌姫で女神(上)

一番書きたかった皇室を守るというテーマについて書けたので、一息ついて、久しぶりに奈保子さんについて考えてみたいと思います。ご興味ないかたにはスミマセン。長いので(上)(下)に分けています。

奈保子さんの代表曲『スマイル・フォー・ミー』のB面曲に『セレネッラ』という曲があって、♪私を女神と呼ばないで♪と始まるのですが、奈保子さんはやっぱり女神だ、といことでこのタイトルをつけています。彼女のここまでの半生について書いてみました。

地上波テレビ見ないのでよく知りませんが、最近、80年代を中心に昭和の歌謡曲が脚光を浴びています。テレビの世界だとやっぱり映像が多く残っているためなのか、当時の呼び方でニューミュージックよりはアイドル中心にランキング番組など多く制作されています。もっとも、雑な作りなので、まともに見られるものではないですが、当時を知らない若い人にはインパクトがあるかもしれません(若い人はテレビ見ないとも言われているので、見るのは熟年ばっかりかなー)。そういう影響があるのかないのか、YOUTUBEなどで見られる奈保子さんのライブ動画に若い人からもコメントが入ったり、昔は聖子派だったけど、今見ると奈保子さんのほうがよいかも、みたいなコメントが見られます。現在残っている映像だけだと、純粋に、その映像が見せてくれる歌手のキャラクタや、歌唱力表現力が浮き彫りにされるので、実力がある人が評価される状況になっているのではないでしょうか。(聖子さんと比較しているわけではありません)

私は前にも書きましたが、奈保子ファンの始まりは、彼女が吉元由美さんの詩に自作の曲を付けて歌うようになってから。アイドル時代はリアルタイムでは見ていないのですが、1980年6月にデビューしてから、ほぼほぼ5年間は確実にベスト10に入る人気を維持し、シングルはオリコンでNo1を一度、アルバムもNo1を一度達成し、年末の賞レースでも、コンスタントに入賞したり、歌唱賞などの最優秀のレベルの賞も何度か受賞したりで、立派というしかない実績を残しています。彼女より少し前にデビューした松田聖子さん、1982年にデビューして快進撃をした中森明菜さんという強力なライバルがいる中、彼女独自の音楽の世界を作り上げ、それをバックアップしてくれる大きなファン層を得て、5年間トップクラスにいたことは実は目立たない快挙なのです。

奈保子さんはマイペースの人なのだと思います。レコード会社もプロダクションもそれを尊重してあげた。彼女の人徳なのでしょうね。単純なレコードの売り上げや、テレビのベスト10番組で、トップ2人に水をあけられていることは奈保子さんがどう感じていたか私はまったく分かりませんが、あまり人と自分を比べるような人には見えず、たぶん自分が好きな音楽を創作できていて、それなりに評価もしてもらえていたことで満足していたのではないかと推測します。今思えば、この性格はベストな結果を生んだ気がします。淡々と自分の才能を発揮して、作品を作り続けることができたので、後に名盤とも評価されるアルバムやシングル曲を多く残せたのです。タワーレコードさんのおかげで初期のアルバムを後追いで聴くことができていますが、彼女のアルバムはデビュー時からクオリティが高いのです。その証拠に、現在、順番をぐちゃぐちゃにしたシャッフルで聴いていて、初期と後期の作品の前後関係が分からないことが多かったりします。例えば、本当に最初に吹き込んだ、『ハリケーンキッド』という、デビュー曲の『大きな森の小さなお家』のB面曲ですが、今聴くと、初々しいながらとても発声や音程が安定していて、天才じゃないのって、単純にその才能とか、録音時の彼女の心境を想ったりして、感動してしまいます。彼女は自分の才能を客観的に見られていたのでしょうか?100%謙虚な人なので、考えることもしなかったかもしれません。それからアルバムでは、初期3枚の感じが似た作品(これらにも非シングル曲で珠玉のような曲が散りばめられています)を経て、No1になった『あるばむ』の手前の作品の『サマーヒロイン』は夏をコンセプトにしていて、名曲名唱ぞろいの傑作です。アイドルのアルバムでこんなクオリティがあるとは生まれて50年以上経って知ることでした。個人的には、やっぱり、この中の『夏のヒロイン』は最高の作品と思います。(お気に入りの『夏のヒロイン』動画→​夏のヒロイン​)

※​奈保子様は歌姫で女神(下)​に続きます

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奈保子様は歌姫で女神(上)” に対して2件のコメントがあります。

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