急がば回れの国語教育再建
少し前だが、藤原正彦お茶の水女子大教授の著作を読んだ。藤原先生と言えば『国家の品格』のベストセラーが有名でそれを読んだ後、何冊か読んだもののあまり記憶がなく、今回は久しぶりだった。『祖国とは国語』という新潮文庫になっている作品で、いわゆるエッセー集である。1番最初に「国語教育絶対論」という文藝春秋に寄稿した教育論が置かれているのだが、この本はこの論文に尽きるという内容になっている。
この論文で藤原先生が主張されていることを搔い摘めばこんな感じである。
- 日本は危機にある。危機の本質は誤った教育にある。
- 教育改善の本質は小学校の国語教育である。
- 読む書く話す聞くが確立されずして、他教科の学習は進まない。
- 国語は思考と深く関わる。言語を用いて思考するのだ。
- 様々な語彙で思考や情緒を整理し、熟成させるもので、人は語彙を大きく超えて考えたり感じたりすることはない。
- 語彙を身につけるには漢字の形と使い方を覚えること。これは記憶力が最高の小学生の頃がもっともよい。
- 漢字の力が低いと読書に難渋して、本から遠のくことになる。読書は、深い知識・教養を獲得するためのほとんど唯一の手段である。
- 読書は教養の土台。教養は大局観の土台。大局観なくして、長期的視野や国家戦略は得られない。国民は国家のリーダーたちは大局観を失っていないか?
- 国語は論理力を育てる。日本人は論理が未熟である。
- 数学を学んでも論理力は育たない。数学の論理は現実世界の論理と甚だしく違うからだ。
- そのうえ、数学には公理という万人共通の規約があり、そこから議論は出発する。現実世界には公理はない。つまり、現実世界の論理とは普遍性のない前提から出発し、灰色の道をたどる。そこでは、思考の正当性より説得力のある表現が重要。これは国語で学ぶのだ。
- 論理の組み立てで、出発点となる前提は妥当なものを選ばねばならない。この選択は通常、情緒による。情緒は読書を含んだ体験を通して培う。
- また、進まざるを得ない灰色の道が白と黒の間のどのあたりに位置するか、の判断も情緒による。
- 情緒をたっぷり身につけるには実体験だけでは不可能で、読書に頼らざるを得ない。
こんな流れで、語彙力、情緒、大局観、論理力、読書の重要性が語られる。この論文の初出は2003年だ。最初に日本は危機にあると藤原先生が書かれているが、この時にすでに危機、そして、国語教育が劣化し続けて日本が危機のままでいる現在の2022年6月、月刊誌『致知』に藤原先生が登場された。特集のテーマが「これでいいのか」。「国語を忘れた民族は滅びる」という藤原先生へのインタビュー記事の中で先生が語られている。内容は、上記のエッセンスと重なるところはあるが、20年経って、積み上げられてきた愚策についてのコメントもあって、ふんふんと頷くとともに、暗澹たる気持ちに襲われてしまった。このインタビューで新たに語られたところを主としてリストアップしたい。
- 小学校の国語において、比重は読みが20、書くが5、話すと聞くはそれぞれ1だ。初等教育の目的は子供たちが自ら本に手を伸ばすように育てること。
- 学科で言えば、一に国語、ニに国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下。
- 「論理国語」の導入はOECDが行っているPISAで日本の順位が下がっているため。OECDは世界経済のための組織で、企業戦士を作る観点で行っている。教育の目的は、人間をつくることにある。
- 日本の教育は昔から他国を凌駕し、誇るべきものがあった。日本は他国を見て、それに振り回される必要はまったくない。
- 日本は明治維新以来、植民地主義、帝国主義に吞み込まれ、ロシア革命で共産主義に染まり、昭和に入るとファシズムに染まり、戦後はGHQが作った嘘っぱちの歴史観に染まり、ここ20年はグローバリズムに染まっている。欧米人のつくった自分勝手な論理に染まりながら歩んできたのが(明治以降の)日本の歴史だ。
- 元在タイ大使の岡崎久彦さんはこう言っていた。「外交官として最後にものを言うのは教養と人間性だ」
- AならばB,BならばC、CならばD・・と展開していくのが論理の世界。A→B→C→Dと論理の鎖を伝わっていくわけだが、出発点のAにはどこからも矢印が来ていない。このは常に仮説であり、この仮説を選ぶのに重要になるのが情緒だ。
- 祖国とは国語そのものだ。日本が仮に他国に占領されたとしても国語さえ忘れなければ日本は滅ぶことはない。
下から2つ目の論理のところは、最初のリストアップの内容とかぶるが、キモの部分であり、藤原先生が具体的な言い方をしているのであえてダブらせた。Aの論点がまずおかしい人は現代では滅茶苦茶多い。議員もそうだし、裁判官なんかもそうだ。A→Bなどのつながりがおかしい人も多いのは別の欠陥教育のせいか。
明治以降の日本史において日本が海外から影響をなし崩し的に受けてしまったという見方、藤原先生は流石としかいいようがない。私はもともとその論をごもっともと言えるような考えかたをしていたわけではなく、明治維新での日本の鮮やかな変わり方をむしろ礼賛していたほうなのだが、『知の巨人』に学ぶで書いた松岡正剛さんの『18歳から考える国家と「私」の行方』で正剛さんは明治維新からの日本の立ち回りを批判的に書いていて、私は考えを改めた。そして藤原先生の考え方はそれと同じように思えた。そこからの流れを日本は断ち切れないでいる。
藤原先生の20年も前からの危惧が一向に改められることがなく、むしろ、悪化していることに先生はさぞ悲しまれているだろうと思う。ただ、明治からの流れからと思えば、これを逆流させることの困難さは十分考慮されていて、だから日本語さえ忘れなければ国は滅びないとまで言われているのだ。
実は先日、チャンネル桜の最近の白眉のシリーズもの、伊藤貫さんの【伊藤貫の真剣な雑談】第7回「文明の衝突とロシア国家哲学」を見て、大いに感銘を受けた。これほどの講話はそこいらの講演会などでは絶対に聴けないもので、これが無料で(私はサポート会員なので少しは払っているけど)聴けるというのは本当にミラクルだと思ったものだが、この中で、プーチン大統領が国民に教養を身につけることを指導していると言われていた。この藤原先生の2つの著作物と、伊藤貫さんの動画を見て共通するものがあると思った次第である。
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