京都は一見、変わらない京都でした
この夏の家族の遠出先は、京都、そして、京都から北西に向かう日本海沿岸の宮津。何故、京都にしたかというと、息子の中学での一つ目の修学旅行、京都3泊4日が武漢ウィルスによる行動自粛で中止とされたことで、せめて、その悲しい出来事を少しでも無きことにしてあげたかったことがひとつ、それから、京都は、中国による不動産買収で浸食されていて、いつか、これまでの京都を見られなくなるかもと危機感を持ったこと、それから、京都府の中で、宮津という地域にプールもあるリゾートホテルがあり、まだ観光嫌いな娘には良い場所かもと思ったこと、宮津は日本三景のひとつ天橋立の観光拠点であること、などが主な理由。
息子の通う私立の中高一貫校は、受験時の学校説明会で、修学旅行は、生徒たちが自分たちでグループごとに観光プランを作って自律した旅行にするというのが学校のユニークな活動として紹介されていて、親としては魅力的なカリキュラムと感じたものだった。この学校の教育理念は、自主自律した人間になるというものでそれに沿っている内容でもあった。そういう楽しみな要素が、武漢ウィルスのパンデミックで、まずは修学旅行自体が断念され、3年生での沖縄修学旅行は何とか開催されたが主体的な計画を練って実行ということはできなかった。息子は年に何度かある活動の成果を保護者や同校の生徒たち披露するような部活動を中学から高校にかけてしているが、先日数年ぶりに行われた発表の場で、高校の2年生、3年生での発表の機会を失った子たちが特別参加していて、本当に機会を奪われた子たちの無念さも痛いほど感じた。日本人の大半がディープステートなどの存在を知らないし、パンデミックによる日本政府の行動自粛政策が、日本政府の考えで行われているもので、それは国民のためを考えて取っている政策だとほとんどの日本人は信じているのだろうから、高校生で、世界支配をしている彼らの存在や、彼らによって自分たちが苦しめられているとは思うはずもないだろう。そんな純真無垢(今の時代でも子供たちは純真だ)な子供たち、かつては自分たちもそういう子供時代を過ごした日本のリーダーたちはいくら相手が巨大だからって、全く闘うことなく、すべて服従して、国民を苦しめていることに罪の意識を感じないのだろうか。夜は眠れるのだろうか?そうだとしたら、やはり、日本のリーダーたちは、まともに青年時代の悩みや苦しみを経験したなかった特別な人間たちということなのかもしれない。
京都観光は、到着日と、帰宅日に数時間、観光の時間を取っているだけのプランだったので、雷による飛行機の到着の遅れもあって、観光は、思ったよりも出来なかった。あらためて京都観光計画をしてみて、京都の観光なんて、一週間ないと、どっちみち中途半端と思った。私自身は清水寺再訪と念願の伏見桃山御陵へ明治大帝陛下のお墓参りができて良かったが、息子は、さすがに物足りないだろうと思う。高校、大学と、時間、チャンスはあるので、友達とでも再訪して、思いっきり京都三昧してほしい。
今回、訪れた数少ない観光スポット、清水寺は、周辺をかなり中国資本に食い荒らされていると聞いていたので、そんな形跡に気づくかなと思いつつ、緩やかな五条坂を登って行ったが、さすがに登り坂なのと、雨の中、坂を歩かされていることに機嫌を悪くする娘の世話などで細かいところまでは目が届かず、はるか昔に歩いた記憶とさほど変わらない坂風景だったことで、中国による浸食への心配は束の間、減った。参拝を終えての下りの五条坂の沿道の賑わいは、ここ数年の行動自粛による観光地の寂しい風景の記憶を忘れさせる楽しげな光景だった。これはいずれ、ずっとは続かない幻のような風景になるのだろうか?
京都の「着いた日観光」は清水寺だけで精一杯。夕暮れ前に、宿泊予定地の宮津にレンタカーで向かう。宮津のリゾートホテルは思っていた以上に良かった。団体客もいたのか、お客さんもほぼ満室に近いよう思えるほど多く、行動自粛の頃のガラガラの宿も、他のお客さんとの兼ね合いで受ける制約がないとう嬉しいところはあったが、やっぱり、お客さんがいてホテル・旅館はなんぼだし、他のお客さんの様子を見るのも旅の楽しみなのだ。宮津を拠点に天橋立、天橋立ビューランド(遊園地)、伊根町、城崎温泉などに行ったが、伊根町が目的の海鮮料理をレストレランがお客さん一杯で入ることができずに断念したこと以外はとても満足。特に城崎温泉は、他の温泉地で失われたような昔の風情(城崎独自のものか不明)が多く残っていて、行ってよかったと思える地だった。今回、外湯に一件も入れなかったので、絶対再訪したい。
中国人の浸食が激しい京都の様子を見る目的、と前述したが、実際に行ってみると、やはり日本は広いし、素晴らしい文化もある。こんな巨大な土地をお金で地道に買っていくことは簡単ではないと思った。また、世界で日本の文化を愛してくれている人々は大勢いる。この日本を中国が属国化し、中国化するようなことは世界が許さないのではないかと淡い期待も持った。こんな風に希望的観測を持つのは、やはり無意識に正常化バイアスがかかっているのかもしれない。でも、こういう一縷の希望を持って諦めないで行動してゆくことも必要なので、適宜、このように日本の美しい国土をめぐり、精神をリフレッシュさせながら、自分なりの闘いを継続してゆく覚悟を新たにした。