初台湾

台湾訪問してきました。8月22日から26日の4泊5日。台湾への出発前後数日は目まぐるしく慌ただしくて不安だらけの日々でした。対物の車の事故を人様の車で起こしてしまったのが最悪で、台湾から帰国したら、物の片付けのために乗っていた椅子でバランスを崩して畳に真横に落ち、少し脳震盪おこしたり。台湾は良かったけど、何か流れが悪いなー。

台湾旅行記と行きたいと思います。

海外は、タヒチ以来、7年ぶりのことで、すっかり国内線の感覚がつき、チェックインがギリギリになって、のんびりチェックイン前に朝ごはんをなどと考えていた計画が破綻。下手をすると朝ごはん食べてて、さらにチェックインが遅くなってしまうところでした。考え変えたのは正解。いざチェックイン、それから、出国手続きをしてみて、ずいぶん機械化されたことに驚き。パスポートでチェックイン出来るとは!でした。これが出発時で印象深かったこと。

台北の松山(ソンシャン)空港に到着。ここは台北2番目の空港なのでこじんまりでした。市内にMRT(地下鉄)で数駅なのはすごく便利です。空港で両替するのも久しぶりです。事前スタディが十分ではなく、この辺り、妻に頼りまくっていました。ホテルのある忠孝復興駅に直行。空港から4駅。近い。MRTの雰囲気は、悪く無し。車内での飲食は罰金と妻にアドバイス受けました。福華大飯店(ハワードプラザホテル)にはとりあえず荷物預けだけで向かいます。少し迷いましたが、想定内の迷い方。行きやすい場所にありました。ホテルのスタッフはフレンドリーです。

MRT忠孝復興駅あkら取ったハワードプラザホテル(右側高いビルの向こう)

今回の訪問観光スポットは、

台北101

松山の夜市

中山の街(アニメート台北支店!)私以外

台北鉄道駅

二二八和平公園

國立台湾博物館 私だけ

台湾総督府

台北101展望台

小籠包の有名店(101内)

高雄の紅毛港保安堂と安倍総理銅像

高雄のウォーターフロント

台湾高鐵乗車

故宮博物院

龍山寺

以下、雑感です。

台北101の建物には感動しました。こんな建築物は日本が絡んでいるに違いないと思ったのですが、案の定でした。熊谷組と地元企業とのJointVenture。日本の高度な建築技術と技術者は、継承してゆかないと。

台北101内のフードコートで夕飯を食べましたが、観光者向けの食事はやや高し。円安のせいはありますが。台湾のメインディッシュはやや辛い系が多い気がしました。

台北101

國立台湾博物館は、思ったより普通の博物館で、日本統治時代もさほど展示は広くも展示物が多くもありませんでした。夏休みの行事なのか、地元の小学生と思しき子供たちが集団で見学に来ていました。子供たちには台湾の土地や文化や自然を知ってもらうためには日本統治ばかり見せるわけには行きませんね。ただ、児玉源太郎や後藤新平の台湾の礎を作った日本人は手厚く展示されていました。台北の碁盤の目を基礎にした歩きやすい街並みはこのお二人の功績以外の何物でもありません。

台湾では値段は気にせずご飯やスイーツやデザートを思いっきり食べたり食べさせようと計画していたのですが、妻や子供たちの食欲は気ままなので、案外、計画実行はままならず、都度都度の高いも安いもないベストな選択となり、食事的に豪華な旅とはなりませんでした。唯一といってよいのが、台北でいくつも支店を持つ有名なレストラン、鼎泰豐(ディンタイフォン)での夕食でした。小籠包が看板ですが、重厚な味というのでしょうか。控えめな数だけ食べたのですが、一個一個は思ったより小さかったので、もっと食べてもよかったかと思います。店はあまり待たせることがないポリシーなのでしょう、行き届いたサービスでさすがと思いました。

故旧博物院は、もともとの台湾訪問の動機で、妻にとっても最優先のスポットでした。娘が足が疲れたーと抵抗するので、負担軽減のために、結局、ホテルからタクシーで行くことに。タクシーはホテルからで350元ほど。円換算で1500円ほどなので、台北の公共交通機関は何と安いことか。ちなみにMRTは一乗車10元程度です。タクシーで入口まで来たのでこの建物の全体像は結局外から見ることなく終わりました。博物院自体は思ったより巨大ではなく。第二展覧區(てんらんく)とも言う図書文献館が閉館中だったからでしょうか?小学生ぐらいの現地の子供たちが大勢、ここも見学に来ていました。展示品は、青銅器陶器、書画、彫刻が大きなカテゴリーで、青銅器、色鮮やかな陶器がどれだけ惹きつけさせてさせてくれるのだろうと期待していたのですが、日本の博物館などのものと同じように特に独特なオーラは感じませんでした。やっぱり間近で見たり、触ってみたりしないと分からないもの?有名な翠玉白菜や肉形石や象牙の彫り物は中国人の政策物らしい超絶な追及やこだわりの産物と思いますが、こういうものは古今東西どこにもあって、純粋に人間の技は凄いものと思います。見逃したものも多くありそうなので、最後にお土産物ショップで日本語版展示物ガイド書を買いました。1000元ほどですので、かなりお高いガイド書でした。これで大美術館のガイド書は、ルーブル、メトロポリタン、故旧と揃いました。次はエルミタージュか。

私の最大目的だった高雄行きと安倍総理の銅像のある紅毛港保安堂の訪問。台北から高雄までの移動は、新幹線、普通の鉄道、遠距離バスとあるようですが、日帰りなので、新幹線(高鐡)を使いました。家族4人で高鐡の台北―高雄(左榮)までの往復だと6万円ほどかかり結構べらぼうな出費ですが、家族にも高雄は行かせたかったし、安部さん像を見にゆくことも黙って同意してくれていたので、迷いなく決めました。ただただ心配は行き方。地球の歩き方には、MRTの紅線の草衙駅(そうがえき)からバスとありました。バスは時間もわからないのでタクシーと決めていましたが、タクシーも現地に行ってみないと捕まえられるのかが不明。家族を伴って右往左往は子供たちの精神的な負担も考えると祈るような気持ちでした。そして、着いて見るとやっぱり。赤の12番バス停はあったもののすでに当分発着なしの時刻表。ただ、目的地はこの駅から近いことがわかって少し安心したので、ではタクシーと思ったところ、これがつかまりそうもない。今回、妻がよく機転を利かしてくれて、タクシーはたぶん道端では拾えないことを示唆。うーん、そうかも。ではと、最初に出口を間違えて出たところにあったアウトレットショッピングセンターに行けば多分タクシーいるか、最悪、呼べるのではということで行ってみました。この戦略は大正解で、そこにタクシーがいたのでした。

保安堂にタクシーが連れて行ってくれて、やはり近かったです。ただ、私の思い込みで保安堂は小高い丘の上にあると思っていたのです。地上の一般道の道路沿いにでんと佇む保安堂を見たときはこれ?と思ってしまいました。そしてここでも、やや疑心暗鬼の私に代わって、妻が安部さんの銅像を見つけてくれました。ここで良かったんだーとほっとしたり、一方でイメージ違いのため戸惑ったり。近くに行くと先客がありました。日本人っぽかったのですが、どうだったのでしょう。そして、中にここの主のようなおじさんが見えました。ジャーナリストの山口さんからはこの場所には張吉雄(チョウキチユウ)さんという方が住んでいて必ずいるということだったので、張さんかお聞きしたところ違うとのこと。どうやら張さんは出かけて不在でした。この方は林(リン)さんという名前でした。張さんと一緒に管理しているのでしょう。林さんは、私たちにこの保安堂に祀っている日本の38号軍艦が撃沈されて殉職された155名の乗組員にまつわる話や安部さん像の除幕式の模様を報道したニュースのビデオを見せてくれました。38号軍艦の艦長の高田又男さんのエピソードは数多い日本軍の英霊の魂の物語のひとつなのでしょう。安部さんの銅像は張さんが暑いのが可哀そうということでわざわざ松の木をもって来て日陰を作ってくれたのに、強烈な日差しが安部さんの斜め上から注いで来ていて暑そうでした。なかなかこの場所でこの安部さん像や揮毫の入った岩の記念碑や背景の富士山の絵を見るのはシュールな感じがしましたが、実際に、ここに安部さんがいるという現実を見て、庶民レベルの日台の交流を感じました。林さんは保安堂の中や、安部さんの銅像を入れて、私たち家族写真を一杯取ってくれました。

台北やその他の都市を含めて、他に見たいところが一杯あるという気持ちで帰ってきました。台北は合理的に都市作りがされている印象があり、移動も楽なので、暑かった真夏でなく、少し涼しい時期に、気軽に身軽にLCCなど使って、再訪したいと思いました。

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