ドラッカー先生に学ぶ

何度か書いていますが、私の専攻は経済学で、在学中はマルクス経済学を教える代表のような大学の経済学部でした。そんなこともあってあまり勉強にのめり込まなかったのですが、その中にあって、経営学科のほうに有名で人気も高い教授がいらっしゃいました。三戸公先生です。あまり記憶はないのですが、三戸教授の経営学概論の授業は取っていました。取っている学生も多かったので、大きなホールでの授業だったこともあり、淡白な印象しかないのでしょう。勿体ない話ですが、先生の授業でほとんど学んでいないのだと思います。ただ、先生がドラッカー理論を中心にお話されているのは当時も良く分かっていて、ドラッカーと聞くと三戸先生を連想するほどでした。ずっと三戸先生のことは名前だけ憶えているだけで調べてもいませんでしたが、2022年に100歳で亡くなられているのでしたね。ドラッカーを愛していただけあって、真摯さが伝わる人格者の風情をお持ちでした。見事な生涯だったのではないでしょうか。

ドラッカーと私の接点といえば、十数年も前に、ベストセラーになった「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海著、ダイヤモンド社)を読んだことぐらいでした。ただ、今では詳細をほとんど覚えていません、この中で紹介されたドラッカーの教えも同じく。また今、調べてみると(本当にネットとその中の情報量は凄いものです。昔なら家にいて調べられることはほとんどなかったのです。)発刊が2009年なので、確かに私が読んだのは、十数年も前だったのでしょう。それからはずっとドラッカーを学ぶことはなかったのですが、ドラッカーとの再会は、私の最大の学びの場である月刊誌『致知』でドラッカーの教えを教えてくれる連載『仕事と人生に生かすドラッカーの教え』(ドラッカー学会共同代表 佐藤等さん)が始まった時でした。これは直近の3月号で60回目の連載となっているので2019年のことでしょう。この連載は、読み始めるとぐいぐい引き込まれる他の対談、インタビュー、人・業績に関する論文、エッセイ、評論などと違ってなかなか難しくて頭に入らない連載というのが正直な感想でした。ところが、連載も進んだ第55回目で思想家としてのドラッカーの神髄に会えて初めてドラッカーを身近に感じられたのです。そのときのキーワードは「真摯さ」でした。そこで書いてあることをざっと羅列します。

  • 人格は全体にかかる概念であり、部分の総和が全体となるような世界ではなく。全体としてのみ把握することができる。人格の重要な一部を形成する真摯さも全体としてのみとらえることができる。
  • つまり、その人に「XXがない」から真摯さを欠くと判断できてしまう。
  • 人の強みに目が向かない者は、人の弱みにばかり目が向くから、真摯さがないと言える。
  • 人の弱みは、組織が中和して意味のないものにしてくれるから重要な問題ではない。
  • 誰が正しいかに関心を持ち、何が正しいかという視点がない者も真摯さがないと言える。絶対に正しい人などは世の中にいないからだ。
  • 特にトップマネジメントは、いかに聡明で、上手に仕事をこなしても、真摯さにかける者は組織を破壊する。組織にとって最も重要な資源である人を破壊する。組織の精神を損なう。
  • 真摯さは習得できない。仕事についた時に持っていなければならない。あとから身につけることはできないものである。
  • 真摯さは誰かに教えてもらったり、本を読んで身につくものではない。実践によって身につけるものだ。それゆえ、マネジメントを行う立場になったときは身についていなければならないものだ。

こういうことなのですが、このように定義される真摯さとはどうのように身につくものなのかは分からないところがあります。少なくともリーダー(特にトップマネジメント)になる時点では真摯さが求められるということですね。私が見てきたトップマネジメントで真摯さがあると思った人はほとんどいません。考え方としては、人の強みに目を向けて、弱みの部分は組織でカバーすることで、組織を構成する人を育て、尊重する基本姿勢を確実に身につけていった人をリーダーにすることで良い組織を維持できるということと理解しました。その意味では、ドラッカーの教えは、リーダーになってからではなく、組織に入った人全員が最初から教育を受けるべきではないかと思います。

この記事に出会ってからは、私はドラッカーの教えに興味を持つようになり、この致知の連載はもちろんのこと、たまたま家にあった(妻が持っていた)ドラッカーの著作を俯瞰する書籍を読み、さらに、同じく私が昔NPOを立ち上げようなどと野望を抱いていたときに買い求めて読まずにいた『非営利組織の経営』を初めて読んだりしています。これ以外にも、名著中の名著『マネジメント』や致知の連載を単行本化した書籍が今後読むべき本として控えています。

『非営利組織の経営』は、参政党が非営利組織そのもので(この本の中で、政党を非営利組織として言及しているところは一ヵ所もなかったですが・・アメリカでは政党は少ないので非営利組織として認識されていないかもです)あり、ちょうど参政党の組織運営が内外から攻撃されている時期だったので大変興味を持って読みました。そもそも、ドラッカーについてここで書くことを考えたのも、この書籍を読んだことが動機でした。ところが、先に、この書籍購入の動機はNPO立ち上げを考えたからと書きましたが、読んでみると、その動機がとんだ検討違いと分かりました。NPO立ち上げに絡むような、技術的なことなど何も書かれていないからです。考えてみれば当たり前ですが。この書籍は、ドラッカーが多く書いている企業経営に絡むマネージメントの考え方に対して、アメリカでは普通の企業と同じぐらい社会的な存在価値の高い非営利組織(教会、病院、教育機関、ガールスカウト、、、)という、企業と同じ要素も持つものの重要な点で相違する組織のマネージメントの考え方について教えてくれるものなのでした。非営利組織の経営という概念自体が初めて知る内容だったので、読むところすべて新鮮な情報であふれていて興味深かったのですが、一番印象に残るのは、非営利組織にとって最も意識するべきもの「使命」とそれを果たすための資金集めの関係でした。使命があってなすべきことがあるのなら、資金を集めて実行するという発想です。ここには予算がないから事業を断念するというはそうはありません。これは実にカッコいいことです。

この著作は、もともと音声を多数のカセットテープに吹き込んだ教育プログラムになっているものを書籍化したものということもあり、変わった構成になっています。Ⅰ~Ⅴ部まで、それぞれ5章ずつあります。Ⅰ部が「使命」、Ⅱ部が「成果」、Ⅲ部が「マネジメント」、Ⅳ部が「人事」、Ⅴ部が「自己開発」について語ります。私のような参政党員にとって最も興味を持つのは、Ⅲ部の「マネジメント」だと感じました。もちろん、前述した非営利組織にとって最も意識するべきもの「使命」を明確にすることを前提とするのですが、すでに日々動いている党活動において、その活動をどうマネジメントするかは、身近なことであり、すぐにでも知りたいところなのです。実際にこのパートを読んでいて、目からウロコの記述を多数見つけました。以下にリストします。

  • 非営利機関は、人と社会の変革を目的としている。従って、まず取り上げなければならないのは、いかなる使命を非営利機関は果たしうるか。いかなる使命は果しえないか。そして、その使命をどのように定めるかという問題である。というのも、非営利機関に対する最終的な評価は、使命の表現の美しさによって行われるのではないからである。それは、行動の適切さによるからである。(これはⅠ部の「使命」にある出だしの部分ですが、大前提に来るものなので、ここに入れました。)
  • 非営利機関のトップにとって最初の、しかも最も難しい仕事は、その非営利機関の長期目標は何であるかということについて、関係者全員の同意を得ることである。こうした多種多様な関係者を統合するには、長期的な目標を中心にするしかない。短期的な結果に焦点を合わせようものなら、それぞれのグループが別々の方向に飛び跳ねることになる。
  • 非営利機関は内向きになりがちである。自分たちは正しいことをしているという自負をもち、その奉ずる大義に全身を捧げているために、組織自体を目的として見てしまう。そのうち、組織内の誰も「それは自分たちの使命に適っているか」とは問わなくなり、代わって「自分たちの内規に合っているか」と問うようになる。
  • 中央が統括すると同時に自治権を持つ地方支部の連合体でもあるという非営利機関の場合、とくに明確な基準が必要である。自律性と一体性という相反する要請を満たすには、明快で高い基準がとりわけ必要である。そして、中央の組織は「基準のコントロール」を行う。これこそ最も難しいことである。このため、中央の組織のトップとして能力を持つことより敬意を持たれることが必要となる。たとえ中央の拒否権が好まれない内容のものでも地方に受け入れてもらうときにはこれが必要だからだ。
  • 非営利機関では有給のスタッフでさえ、物事を達成し奉仕することによる満足感が得られなければならない。さもなければ、彼らは疎外感を覚え、敵対心さえ抱くようになる。

マネジメントという意味では、Ⅴ部の「自己開発」で、組織の一員として貢献できるような、成果を上げられるような成長をするための教えも書かれていますが、私の関心の強い参政党の組織の維持、強化に必要な考え方は上記のようなものと思いました。昨年以来の参政党への分断工作、組織の未熟さや脆弱さから来る内部的な問題を見るにつけ、ドラッカーは理論的に警告されていたんだ、と驚いてしまいます。そうであるから、理論としてしっかり理解しておくべきものです。

この著作は私が読んだ初めてのドラッカーのオリジナル著作ですが、ドラッカーの書きっぷりというのは、単語単語の定義がハッキリしており、曖昧さがなく、非常に数学的と思います。その分、理解が難しいところもあり、一方で、すっきり頭に入ってくるところもあります。ただし、これを人に伝えるには単語の定義からしっかり理解していなければシドロモドロになるでしょう。私は、こういう文体に感銘を受けました。ここのところドラッカーに浸かっていたので、一旦、ドラッカー関連の書籍は休息したのち、また読み進めたいと思っています。

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