松岡正剛さんが残したもの
私が何度か現代最高の『知の巨人』として敬愛していた松岡正剛さんが、さる8月12日に肺炎のために逝去されました。80歳とのことです。正剛さんの頭脳は全く衰えを見せていなかったと思います。出版物とか、目に入って来るプロジェクトの成果物とかを見る限り執筆活動その他の活動はブランクがあるようには見えなかった印象でしたから。それなので、今回の知らせは唐突な感じがして、俄かには信じられないものでした。正剛さん逝去の報道があったのは、正剛さんが亡くなった12日ではなく、その9日後の8月21日にされました。私はその頃は、岸田が総裁辞任を表明して、衆議院議員選挙が近く行われることが必至になった時期だったので、非常に慌ただしく、正剛さん関連のニュースを追うことができない状態でした。この年末になってようやく一息ついた感じがしたのと、猛烈に忙しくなる以前に読みかけていた正剛さんの最近の著作『日本文化の核心』(講談社新書)を読み終えて改めて正剛さんの博覧強記ぶりに圧倒されたこともあって、正剛さんの追悼の文書を書いてみたくなりました。というより、正剛さんへの最大限の感謝の気持ちを捧げたいというのが第一です。
私の正剛さんとの出会いは、間接的には、最初に正剛さんが立ち上げた出版社の工作舎から出された『生命潮流』(ライアル・ワトソン著)を読んだことをきっかけとした工作舎への興味、直接的には、その工作舎が2001年に出した『オデッセイ1971-2001 工作舎アンソロジー』(工作舎編)で工作舎の中心人物が正剛さんだったことを知ったことでした。それからは正剛さんの膨大な著作を少しずつ読んでいったり、書籍のリリース以外の活動である、書評サイトの『千夜千冊』の運営、丸の内の丸善に設けた正剛さん編集の書棚のデモンストレーションたる『松丸本舗』、そのコンセプトをもっと巨大に、博物館のようにした『角川ミュージアム』などで正剛さんの膨大な業績をリアルタイムで触れることをして来ました。
上記の執筆以外のプロジェクト的活動ですが、結局、ベースは正剛さんの膨大な読書量、本に関する知識です。そして、その膨大な情報を正剛さん独自の編集術を用いて、他人に見せるように表現したものでした。私のような普通の能力の人間には、正剛さんに対する見方は、恐ろしいほどの情報の吸収能力と処理能力と表現能力です。なので、とりあえず、私なりに正剛さんの凄さを感じた体験を言えば、このブログでも書きましたが、『17歳のための世界と日本の見方 セイゴオ先生の人間文化講義』(春秋社)、『誰も知らない世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』(春秋社)、『18歳から考える国家と「私」の行方 セイゴオ先生が語る歴史的現在 東巻 全14講』(春秋社)、『18歳から考える国家と「私」の行方 セイゴオ先生が語る歴史的現在 西巻 全14講』(春秋社)を読んだことに尽きるのです。古今東西に渡る膨大な知識をベースに古代から現代までの世界史、日本史を語ったこれらの書籍は、他には誰も書けないのではないかと思います。正剛さんの前の世代の”知の巨人”と私が敬愛する渡部昇一さんに理系の感覚を積んだような人だからこそのことではないでしょうか。
正剛さんの著作はその後、ことあるごとに買い集めてはいて、読了したものも少なくないのですが、未読のものもかなりあります。今の混沌とした日本、世界、世の中に調和が訪れて、自由な時間を満喫できる日が来たら、これまで読んだ本も含めて死ぬまでには読み切りたいというのが私の願いです。もちろん、正剛さんのもの以外も含めてです。そうは言っても、すべてを読むのはその量を考えるとまず不可能です。読み切るのが難しいほどの量を書けるのって一体どんな頭脳・体力をお持ちだったのでしょう。
80歳は若すぎると思うしかありませんが、正剛さんは十分すぎるほどのものを残しました。そして、正剛さんの愛した本により正剛さんの業績は不滅になったのではないでしょうか。正剛さんに深く感謝です。ご冥福をお祈りいたします。
追伸:直近で読んだ『日本文化の核心』(講談社新書)も凄い内容でした。まさしく今に残る日本文化がどういう経緯で今のようになっているかを解説してくれているのですが、こういう情報は深すぎて、濃すぎて、今のネット上でも絶対に調べられないものだと思います。これは専門家が書き記した書籍を片っ端から調べないと行きあたらない情報です。それだからこそ、正剛さんにはできるのだと私は信じています。