良書で新年開始そして西尾幹二先生のこと
昨年2024年から本年2025年の年末年始のカレンダーは最高で、12月28日の土曜日~1月5日の日曜日まで9連休という人が多かったのではないでしょうか?私はすでにリタイア組で年末年始のカレンダーはあまり意味がないのですが、現役世代の日本経済を支える皆さんにとってよい年末年始を送られたことを願っております。ただ、こういうカレンダーはよいことはよいのですが、お休みが明けるといきなり5日間働くことになるので、緩めた体にはきついところもあるのではないでしょうか。多くの皆さんは、本日が金曜日で仕事が終わり、明日から3連休ということで疲れを取っていただきたいと思います。
私の年末年始はこれまで記憶がないほどゆったりとした年末年始でした。実家の母姉への年始挨拶も母が年であまり長く一緒にいると疲れるようなので滞在時間も短くなっているし、初詣は正月3ヶ日にすることはここ数年は回避(混んでるから)、子供たちを飽きさせないみたいなお出かけももうなくなったりして、ほとんど出かけていません。息子がこれから行く大学と私の母校が今年もともに参加した箱根駅伝で気合を入れて応援したのがメインイベントというところです。いやー、私の母校と同じミッションスクールで蔦のからまるチャペルがあるという意味ではライバルみたいなところのある青学は駅伝の選手層が厚くて圧巻な強さでしたね。ますます差をつけられそうです。
ゆったり過ごした理由としては溜まった書籍をできるだけ読んでおきたいということもありました。結果としては、全然、消化できなかったとはいえ、数冊読みました。年末よりも少し前に、松岡正剛さんの『日本文化の核心』を読了したと以前の記事に書きましたが、そのあとは、とうとう新渡戸稲造の『武士道』(致知出版社)を読み、次に、コロナ対策とかの話題でネット番組とかに出られているので知った木村盛世さんの『医者にかからない幸福』(ビジネス社)を読み終わりました。『武士道』を読むと、新渡戸博士の西洋哲学にまで及ぶ博識ぶりに感心せざるを得ません。それを日本伝統『武士道』と比較・対称させたり重ね合わせたりしてとても論理的です。私は子供のころ、NHKで夕方に放送していた新・八犬伝という人形劇にはまっていて、それが理由で仁義礼智忠信孝悌という8つの徳目に言葉的には馴染んで来たものの、それぞれの徳の厳密な意味には無頓着で体系的には理解していませんでした。そういうところで『武士道』を読んだおかげでその一部を学ぶことができた気がします。ただし、『武士道』で語られる徳目は仁義礼智忠信孝悌とは一致していません。『武士道』には、「勇」「誠」「名誉」というものがあり、「智」「信」「孝」「悌」がありません。勝手に解釈するに、「勇」はいつも闘いと隣あわせにいた武士独自の徳目、「誠」は「信」に近い概念、「名誉」は武士であることを維持するために武士だけが持たなければならなかった心持ち、でしょうか。『武士道』にない「智」は武士には他よりも重要ではない徳目だから、「信」は「誠」に置き換わり、「孝「悌」は「忠(義)」に代表されているのだと思いました。そして、それら徳目にも順位があることを。この本は若いうちに読んでおくべきものですね。『医者にかからない幸福』は、そろそろ死が遠いことではない年齢になってきた私にはよい指南を与えてくれる本でした。ひとことで表現するなら、尊厳を持って死ぬべしということが大事ですね。
そして、読了ではなくて現在読みかけているのが、西尾幹二さんの『沈黙する歴史』(徳間書店)です。西尾幹二さんは残念ながら昨年の11月1日に逝去されました。89歳で老衰とのことです。先の松岡正剛さんとはキャラクターも歩んで来た道も全然違うように思いますが、年齢的には9歳程度の違いです。正剛さんがどちらかというとアングラな論客の最高峰とすると、西尾さんは、正統派言論を行う教育者・著述家・評論家の最高峰の方でした。正真正銘の王道を行く知識人でした。日本はまた大きな存在を失ってしまったことになります。私は西尾さんをそのように評価していながら、著作を読んだことはありませんでした。あえて読んでいなかったとも言えると思います。それは私の読書の流れにおいて、最後は西尾さんの本を読むことになるだろうと漠然と考えていたからです。私が西尾さんを知ったのは、朝まで生テレビなんかを熱心に見ていた大学生時代から若き社会人だったころの1980 年代だったでしょうか。当時好きだった西部邁さんとディベートするような番組があって、それで初めて西尾さんを知りました。西尾さんはいかにも正統派の論客のような学者らしい風貌をされた方と思いました。その番組の中で西尾さんは西部さんの意見を異端のように表現したところが印象に残っていて、当時の私は異端な意見が好きだったので、西尾さんにはさほど興味はわかなかったというのが事実です。それから40年以上も経った現在まで西尾さんの著作物を読むことはなかったのでした。
そして今回西尾さんの本で初めて読むこととなった『沈黙する歴史』は、数年前に購入した書籍でした。この本は、1998年に徳間書店から出版された同名の本の再出版です。ですので、書かれている内容は1990年代のもので今いまのものではないのですが、日本の歴史(大東亜戦争前後のこと)についての評論なので今の日本とさほど変わらない状況で書かれていて何の問題もありません。まだ7分の2程度までの読みかけの段階なので内容については触れませんが、現在で保守陣営から強調されている戦後日本のGHQによるWGIPの呪縛のことはあまり考慮せず、客観的に冷静に中立的に大東亜戦争責任論から日本が抜け出す考え方を読むにつけ、西尾さんらしい、正攻法の、ど真ん中からの、直球勝負的な解決の仕方が提案されていて唸るしかありません。すべての雑音を無視できるとしたら、西尾さんの書かれていることはあるべき方向だと思います。そして、雑音があふれる現実の環境の中では、こういうど正論に触れることは、自分の頭や心を浄化するうえで不可欠なのでは、と思いました。年明け早々にこういう本を選べたのは単なる偶然ではないかもしれません。神の差配に感謝感謝です。
参政党の理念、”日本の国益を守り、世界に大調和を生む。”は、トリッキーなやりかたではなく、西尾さんが取られる直球勝負のやりかたでしか実現できない気がします。時間がかかるとは思いますが、一番の早道だと信じて、この理念実現に向けて、今年をスタートさせたいと思います。