半世紀ぶり?の巨人戦と3S政策

18日(日)、家族皆で東京ドームの巨人対DeNA戦を観戦しました。思い出してみると、自分が本当に小学生ぐらいの頃、当時の後楽園球場に父親に連れて行ってもらった広島とのオープン戦のダブルヘッダ(今考えてみると珍しい)を観戦して以降、巨人戦に行ったことがあったのか。行っていなければ、半世紀ぶりぐらいのことです。プロ野球観戦と言えば、実は、3年ぐらい前かに、当時は(球場名ころころ変わる!)メットライフドームだった現ベルーナドームに対楽天戦を見に行きました。意外に東京ドームは我が居住地からは近いと思いましたが、感覚的には西武線沿線の我が居住地からすると地元なので、現在、気にしているのは西武なのです。ですので、子供の頃から好きだった巨人の今年の成績は気づいてみると下位なのか―と知ったぐらいです。今回、先に、息子の高校野球の夏の予選の吹奏楽部の応援で試合を見た妻と娘が意外にゲームが面白かったということで、プロ野球もこの夏に一度行きたいとリクエストされ、チケットを買うことになったのでした。本当は西武戦を探したのですが、日程が合わず、私も初めての東京ドームを選びました。両球団のチケットを探してみてビックリ。西武戦のチケットと巨人戦以上に高いと感じました。席っていろいろあるので比較は難しく、あくまで印象の話です。

この日は日曜日で家族連れが多いということだったせいなのか、試合の中でのサービスとかアトラクションが西武戦の時よりも多かったと感じました。そういうことで、今のプロ野球の興行も、アメリカナイズされたなーと思わされました。私は、1990年代に何度かアメリカにメジャーリーグの試合を見に行きました。見たのは、私が長年ヒイキのカンザスシティ・ロイヤルズ中心なので、対戦チームとして、エンジェルス、インディアンズ(現在ガーディアンズ)戦、それからナショナルリーグで、野茂がいた頃のドジャースやレッドソックスの試合など。皆、野球の試合というよりは野球の周りにショーを作ったみたいな感じでした。日本のプロ野球は、そういう表面的な部分は模倣している感じです。ま、昔と違って、大型ビジョンとか、電子機器を使った音楽とか、コンピュータを使ったゲームなども利用したいだけ利用できるので、現在の形は必然なのかもしれませんが。

試合自体は、両チームの先発ピッチャーがしっかり制球して、散発に抑える締まった試合になりました。動いたのは6回表のDeNAの攻撃。クリーンヒットばかりではない当たりがフィールドの各所に飛んだせいで、DeNAがランナーを貯めて、結果的に2点を奪取。点を取ってノーアウト満塁の局面だったので、2点に抑えたのは頑張ったというかラッキーだったというところですが、巨人は、ランナーを出しても、チャンスを拡大できず。結果は、9回に突き放されての巨人の負けでした。巨人先発の山崎投手はルーキーのようですが、本格的な振りかぶり投法で、バランスが良いのでしょう。打線がしっかり援護すれば、白星を重ねられる素質があると感じました。一方の、巨人打線は、単純に打たせるばかりで、盗塁とかヒットエンドランとか戦略を立てられそうな機動力のある器用なラインにはなっておらず、変化やスリルがない、面白みに欠けるなーとういうのが実感。

ところで、私は長年、巨人ファンでしたが、現在、巨人については複雑な心境になっています。安倍総理の暗殺事件を統一教会への関心に持っていった張本人の日テレについて、山口敬之さんがメルマガで真実を教えてくれました。読売創設者の正力松太郎はCIA(ネオコン)の手先、工作員とのこと。それをそのまま継承しているのが現オーナーの渡辺恒雄。そのことだけで、戦後アメリカが日本に対して行った日本人を愚民にさせる工作活動のひとつ、3S(さんエス)政策を連想しました。3Sのうちのスポーツに関心を向けさせる大きな部分は巨人が引っ張ったプロ野球だったことで間違いはないでしょう。同じぐらいの影響を持ったのは、力道山のプロレス、それから競馬でしょうか。私が子供の時に熱を上げたエンタメスポーツの3つです。スクリーンも私にはよく当てはまりました。小学生の頃は、6,70年代歌謡曲、中学生になると、TVで毎晩放送される欧米の映画、高校生になると英米発のポップスやロックを聴くようになって、楽しみは当時ラジオ関東という名称だった放送局で土曜日の夜10時から放送されていた全米トップ40。おかげ様で勉強にはあまり時間をかけず、最低限のことしかしませんでした。読書とは好きだったもののやっぱりエンタメ的に読んでいたに過ぎません。ちなみに、もうひとつのSは、根がシャイなので、全然ハマらなかったものの、このように私は2つのSだけで、十分に愚民の道を歩んだのでした。

ところで、上述のとおり、確かに私の前半の半生は確かに3S政策の目的に合致する嗜好に彩られています。上にリンクも貼った3S政策のWikipediaでの解説を読むと、3S政策とは、戦後は、私のレスペクトする『致知』における大師匠のおひとり、安岡正篤先生がGHQによる政策を非難する意味で用いた概念らしいですが、人は余裕が出れば娯楽に時間を費やすもので、頭のよい人にとっては娯楽と言えるかもしれない難しい哲学とか科学理論とか、人から教えてもらったり書籍を読んでも分からない人が大勢の社会では、確かに面白い映画やコンサートやプロレスや野球などが最も好まれる娯楽なのは仕方ないことかもしれず、戦後日本人に蔓延ったポップな娯楽が愚民化政策によるものかは断定はできないという気もします。現に、アメリカ人でもこれらのポップな娯楽は多くの人々にとって娯楽の王様でしょう。(もっとも、アメリカ人も3S政策によって愚民化されたのかもという疑念はあります)

3S政策が、明確に仕組まれたものだったかどうかはともかく、大きな問題は、やはり読売創設者の正力松太郎がCIAの工作員だったということ、そして、その系譜が現在の安倍総理暗殺と統一教会潰しの黒幕になっていることです。マスメディアの反日っぷりの源はひとつではなく、様々な工作の集合体のようです。マスメディアの浄化、粛清をするには、一度、既存の会社をすべて潰すことが一番の近道と思います。こういう闇をひとつあぶり出して白日に晒し、既存マスメディアを倒産させ、新しい愛国のマスメディアに変えていくことが必要です。

このサイトをフォローする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です