あの日のブラックタイド

続けて競馬について。今回は小ネタです。今やスーパーホースになったイクイノックスですが、その父が、大種牡馬の道まっしぐらの今をときめくキタサンブラック。キタサンブラックが種牡馬としてこんなに成功するとは私レベルでは想像もしていませんでした。さらにキタサンブラックのお父さんがブラックタイド。ブラックタイドって誰、という程度の馬だったので、そのブラックタイドがキタサンブラックというG1を7勝する馬のお父さんというのも血統の不思議さを感じさせてくれる事象です。ブラックタイドって、私が馬券で結構、配当金を多く得られたレースの勝馬?とずっと思っていて、いろいろ調べていたところ、ようやくハッキリしました。時間がかかったのは私の思い違いが理由だったのですが、確かにその勝馬がブラックタイドでした。ブラックタイドが勝った唯一の重賞レースが、春の皐月賞トライアル競争のスプリングステークスです。それは2004年3月21日に行われたスプリングステークスで、1着がブラックタイド(横山典弘)、2着がキョウワスプレンダ(佐藤哲三)、3着がダイワメジャー(菊沢隆徳)、私が買ったのはたぶん馬連で、1-11は4060円となっています。

このレースをよく覚えているのは、この日が特別な日だったからです。この2004年は、私が結婚した翌年で、結婚が2003年9月だったので、まだ新婚の半年目。2004年3月は、妻が、また就職をするのに有利な資格を得ようと結構、英語の勉強をしていて、通っていたベルリッツ(私はベルリッツOB)のプログラムの短期ホームステイ留学でイギリスに2週間ほど行ったのです。そして、3月21日(日)は妻が帰国した日だったのです。その日は、私が自家用車を飛ばして、成田空港まで迎えに行きました。あまり帰国便の時刻は覚えていないのですが、恐らく早朝に着く便だったのでしょう。家に帰ったのは午前中。妻がしばらく日本のお風呂から遠ざかっていたこともありお風呂に行こうということで、午後になって家から遠くないところにあったスーパー銭湯で過ごしたのです。そのスーパー銭湯には大きなテレビがついていて、午後3時台、フジテレビの競馬中継を放映していました。そこで、スプリングステークスをライブで見て、あ、当たったと知ったのでした。

ブラックタイドはその後、皐月賞に2番人気で出走するも、レースはダイワメジャーが勝利し、自身は惨敗。その後、脚を痛めて、2年以上休養したということで、私は、あまりそのキャリアを追いかけられておらず、記憶から遠ざかっていたのでした。ただ、馬名にブラックがつき、横山典弘が乗って、中山の大外を強襲して勝ち、自分が馬券を当てた記憶はずっと残っていました。

ブラックタイドが、その後、弟が出て来て、それがディープインパクト。ディープインパクトのおかげで、スプリングステークス後に目立った活躍ができなかったにも関わらず種牡馬になれたというのは、キタサンブラックが大レースに出るようになって、その父がブラックタイドということから知ることができたのです。

あの時強かった4歳馬(今で呼ぶところの3歳馬)がその後種牡馬になって、キタサンブラックを生み、さらにキタサンブラックが種牡馬としても成功して世界ランキング1位のイクイノックスを生み出すとは。その血のつながりを20年後に俯瞰して見ることができるとは。競馬の複雑な面白さのひとつと思います。

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