北東北で感じた日本
今年の夏、家族と行った先は、本州最北端の青森県、そして、そこから南下してゆく岩手県でした。2011年の東日本大震災から13年目となりますが、我が家は、妻の弟が赴任していた宮城県仙台に行ったのみ。息子も高校3年生で、当面、家族と夏に行く旅としては最後になるかもということで、できていなかった東北支援として、それから、息子をプチ大人へと送りだすフィナーレとしての北東北ツアーとなったのでした。かなり強引な理由付けです。
今回はさすがに新幹線を使って新青森駅まで行き、そこからレンタカーで南に下り、レンタカー乗り捨てオプションで一ノ関から東京へ帰るルートにしました。新青森ー十和田湖ー八甲田山を遠目に見ながら移動して八戸ー盛岡ー小岩井農場ー花巻(大沢温泉)を経て、一ノ関から新幹線に乗って帰宅の日程でした。目玉の観光スポットは、三内丸山遺跡(世界遺産の構成スポット)、本州最北端の海(青函海峡近辺)、八甲田山、十和田湖、奥入瀬渓流、八戸の街、海産物、種差海岸、盛岡、小岩井農場、花巻温泉、宮沢賢治、中尊寺(世界遺産)でした。我が家のいつもの4泊5日の欲張り工程になっています。あまり意識して決めたわけではなかったのですが、世界遺産が2つ入っていました。話は脱線しますが、実は、この旅行のあと、私だけ、参政党の神戸での政治資金パーティ、参政党フェスにリアル参加するために神戸に一泊旅行しました。神戸は、一度、仕事で出張しただけでほとんど観光したこともないところだったので、久しぶりの一人旅を兼ねてフェス参加と観光旅行にしたのです。参政党フェスは8月10日(土)の開催、私は、その前の日の9日早朝に神戸に移動し、この日を神戸観光に充てました。着いて早々に甲子園球場に向かい、埼玉代表の花咲徳栄高校を応援(楽勝と予想していたのに完敗!)、夕方にも事前にチケットを買っていた甲子園の第三試合の三重vs山口の試合を観戦するという甲子園メインの観光となったのですが、その2試合の合間に、姫路に行き、姫路城観光を入れました。まったくその時に決めた思い付きプランです。この姫路城は、日本で最初に認定された世界遺産です。というわけで、この夏、私は、3つの世界遺産を観たという結果となったのです。
3つの世界遺産は、やはりその存在感が目を瞠るべきものがあって、今さら論評するところなどありません。単に個人的な思いをここで書くと、三内丸山遺跡では、遥か悠久の過去にここに住んで生きて命をつないでくれた縄文時代の人々が様々な工夫や協力や我慢をして生活を続けた偉大な努力に感謝の気持ちを強く抱き、中尊寺では、奥州で平安時代、特に、平安末期の戦乱の遠隔の舞台となったことで多くの闘争や殺し合いが起り、その戦乱の中で生まれたと思われる平和思想が、遥か時を経た現代に起きている混乱を考えると、その平和思想や純粋な日本人的な心を愛おしく感じ、姫路城では、美しい外観と実際の戦(いくさ)の拠点としての機能のコントラストを実感し、天守閣を登ったあとに見た、天守閣の近くで長く横たわる西の丸は、お城での姫や女中の生活場所がどういうものかよく分かる貴重な建物で、とても学びの多い場所で、そこに住んだ千姫の人生に思いを馳せたのでした。
青森端っこから岩手端っこまで4泊とはいえ、やっぱり駆け足の行程なので歯抜けみたいな回り方にならざるを得ず、見られたところはほんの少しでしたが、世界遺産の他にも、宮沢賢治記念館で賢治の複雑な興味や思想のエッセンスを知り、花巻の大沢温泉の宿、山水閣は宿泊は安くはないものの、遥かにお値段以上と感じられる素晴らしい宿を2泊してのんびりし、小岩井農場を訪れ、盛岡冷麺やわんこそばを堪能したりした、日本の、東北の良さを十分に感じる内容となりました。東日本大震災で多く被災した北東北日本海側ですが、今回、訪れてみて初めて、津波の被害って本当に海岸側であって、内陸部分はその影響を見ることができない程度ということを知りました。まあ10年以上も経っているので、震災当時は内陸部も大きな混乱はあったとは思います。そして、もちろん、海側で被害を受けた地域の壊滅度ぶりは甚大で、今後の対策に生かす必要はあります。ただ、それよりももっと重大なのは、もっと地方都市や、地方の田舎を元気に、住みやすくすることだと思います。現地を回ってみると、やっぱり街中は人も少ないし、高速道路の交通量も少ない。夏休み真っ盛りの期間なのに。密集した関東圏とは明らかに雰囲気が違います。東京一極集中を逆回転させて、広い日本国土を最大限有効活用し、人口も多くして、日本を世界一の国に戻しましょう。地方に行くと日本の自然の素晴らしさ、自然の宝庫であることがわかります。活力を生み出せる資源は日本には十分あります。