曽野綾子さん逝く

今年もとっくに4月に入っています。前回の奈保子さんネタが1月末だったので、この記事は2か月以上ぶりになってしまいました。自民・公明与党政権がトランプ米政権の方向と真逆の方向の政治を続ける中、この夏に向けた都議選、そして、参院選で参政党が何とかしなければという思いで、参政党の支部活動にどっぷり使っていたせいでもあります。

そんな中、つい最近見た、チャンネル桜の馬渕さんと水島社長の対談番組、『桜無門関』で、馬淵さんが、最近なくなった曽野綾子さん・・・と仰ったのを聞いてびっくりして急いで確認したところ、それは事実だと知りました。私が大学生の頃か、社会人になって早々の頃かから深く敬愛して多数の著書を愛読させていただいた曽野綾子さんが亡くなってしまいました。享年93歳、亡くなったのは、2月28日とのことでした。今は新聞も取っていない我が家では、訃報もすぐにはキャッチできなくなっています。数年前まで取っていた産経新聞を取っていたら長年の正論執筆者だった曽野さんの訃報は大きく出たことでしょう。聞くところによると、曽野さんの訃報はあまりメディアでは大きく報じられなかったとか。正論を堂々と仰る曽野さんは産経以外のメディアでは疎んじられていたのだと思います。最近のこのブログの記事には、このような昭和を引っ張って来た知識人たちの訃報が多くを占めて来て、本当に残念で悲しくてならないのですが、私たちにできることは、これらの先達が日本への危機感を発信してきた努力に報いるため、日本の復活、日本の世界調和への貢献を実現させることだと意を強くします。

私が持っている曽野さんの本はほとんど文庫本ですが、30冊以上、多くはエッセイです。私は、曽野さんの書かれたフィクションはほんの数冊しか読んだことがありません。『太郎物語ー高校編ー』と『極北の光』だけだと思います。しかも『太郎物語ー高校編ー』なんて、読んだのはつい数年前ですから、それ以前は一冊だけということだったわけです。なぜそうなったかと考えると、曽野さんのエッセイは抜群に納得できて、逆転の発想や考え方を教えてくれ、面白かったから。エッセイは、その書き手の考えをダイレクトに表現するものなので、婉曲に表現する小説は、エッセイを読んでいるとまどろっこしく感じてしまい、逆に、思想や主張が物語の中で浮き出てしまって、ストーリーを追う際には邪魔になってしまうということがあったと思います。そのあたり、曽野さんの多数のベストセラーがエッセイであって、フィクションの小説ではなかった理由があったのではないでしょうか。曽野さんのベストセラーの一例を示すと、何といっても『誰のために愛するか』が278万部、『老いの才覚』が100万部、『人間にとって成熟とは何か』が80万部、フィクションではさっきの『太郎物語ー高校編ー』が117万部、『太郎物語ー大学編ー』が85万部となっています。『老いの才覚』『人間にとって成熟とは何か』は晩年になってで、しかも、本が売れない時代での100万部前後のベストセラーというのが凄いです。

最近は、曽野さん以外の保守の論客の本や、真っ当な生き方を教えてくれる古典などを多く読んでいるため、曽野さんの本は読んでいなかったですが、アマゾンとかで曽野さんの出版本を確認してみると、最近出していた本はいかに老いるか、老いて生きるか死ぬか、がテーマのおのがほとんどでその多さにも驚きました。曽野さんはかつて、「高齢者は適当な時期に死ぬ義務がある」と一石を投じたことがあって物議をかもしたことがありましたが、それを曲解して、高齢になってもまだ生きていると揶揄する意見がネット上とかにあがっているようですが、曽野さんは淡々と自分と同じ高齢者に美しい人生の引き方を説いていたのではないでしょうか?少なくとも私は、晩年の曽野さんの存在をほとんど意識できなかったし、ひっそりと生きられていた印象があります。

曽野さんは昭和6年生まれでした。私の母が昭和7年生まれ、若尾文子さんが昭和8年生まれ。奇しくも私が愛する人たちが同じ世代にいます。男性では、先日亡くなった谷川俊太郎さん、高倉健さん、五木寛之さん(ご健在)、石原慎太郎さん、などがいます。潜在的な大きな問題を抱えていたとはいえ、日本の繁栄を築いて来た人たちですね。曽野綾子さん、それから、先日の谷川俊太郎さんのご冥福をお祈りいたします。

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