多様性は個人主義を拡大する
高度成長期の日本で育った私には1990年ごろまでの日本のバブル崩壊までは、個人的な悩みは置いておいて、素晴らしき世界でした。何しろジャパン・アズ・ナンバーワンだったので。アメリカは、映画や音楽やスポーツ好きには楽しいことだらけの国だし、西欧は、絵画や街並に見られる美の鑑賞をしに行くべき憧れの地でした。そんなこともあり、私は、1984年にはアメリカで、1989年には西欧で長期の旅を行えたのです。アメリカには1990年代も夏休みには訪問し、MLBなども多く観戦しました。一方、1991年にバブル崩壊して日本には多くの課題が噴出し始めて来た感がありますが、日本にはそれ以前から多くの課題が内在していました。1989年のヨーロッパ旅行中、私は、海部政権の誕生を現地の新聞で見て、大いに期待したものです。長期の自民党政権は、因習や利権でがんじがらめになっていて、これからの世界の変革に対応できないと言われていたのです。海部さんは派閥政治には縛られず、若い世代の人で期待の星でした。でも、結果は期待外れでした。今思えば、このあたりから、日本らしさの切り崩しが始まっていたのだと思うのですが。結局、海部政権の前も後も外国からの圧力や干渉を受けていたので、どうにもならなかったのかもしれません。
1990年代になって、変わったことと言えばBS放送の開始とインターネットの普及です。これにより、日本にいながら世界のニュースを見る機会が増え、ホワイトハウスを始め、世界の情報へのアクセスが容易になりました。インターネットの世界では、しばらくするとアマゾン・コムがサービスを開始し、ここを通じて、個人輸入のハードルも下がりました。私は、アマゾンでは、CDや、洋書のペーパーバックや、ソフトウェアを買ったりして、ショップのマージンなしによる安さのおかげで送料もほとんど気にならない恩恵に感動したものです。こういう環境の変化で、日本と世界の距離が縮まり、様々な情報を日本の新聞などを経ずにとることができるようになり始めたのです。でも1990年代はまだ、有難みが遥かに優っていた時代ですね。
2000年に入って、アメリカ本土で9・11同時多発テロが起きました。これは、日本時間でも夜の23時頃、BSニュースを見ていれば、リアルタイムに旅客機がマンハッタンの高層ビルに突っ込む光景が何度も目に入ってきました。これは、全人類にとって、最も見ているものが信じ難く、呆気にとられる光景だったと思います。そして、これ以降、それまでの平和で呑気で基本的に善良な日本人には、刺激の多い、世界中の出来事をニュースとして知るようになっていった時代だと思います。でも、私もそうでしたが、アメリカ映画なんかだと刺激が多いストーリーやバイオレンスなど多く見て来たから違和感なかったかもしれません。
一方、インターネットでは、2003年にアメリカでMySpace、2004年にFacebook、2006年にTwitterが誕生。一般市民からの生の情報発信が広がるプラットホームができました。私は、SNSはほとんど興味がなく、2020年少し前ぐらいからやっと専ら情報収集のために使い始めたぐらいなので、実態は分かっていないというのが正直なところですが、SNSの利用で、新聞やテレビなどの旧来のメディアが情報を歪め、本当のことを伝えないメディアであることが、いつからか暴かれ始めました。恐らく、このメディアの暗部が今に始まったことではなく、直近でも、2000年の遥か以前から、SNS利用世代から見たら自分たちが生まれた頃から、すでにそうだったと皆、知ったことと思います。これは今後の世界の動きを一変する最重要なムーブメントだったと私は思います。
日本ではジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたころから、日米半導体摩擦を始めとする、アメリカによる経済締め付けが活発化しましたが、恐らく報道にも載らない、報道もできない裏の動きも多くあったのでしょう。これ以降の日本経済の衰退や政治・政策の混乱は海外勢力の影響が大きくあったということもSNSなどを通じて公になってきました。日本では、まだ、旧来のメディアを盲信する国民が高齢者世代を中心に多いのが実情ですが、今後は、自然の流れでその比率は減ってくるものと思われます。そうなれば日本も欧米の人々並みに真実を知る傾向が強くなっていくでしょう。
現在、日本でも多様性が謳われていますが、何世紀もの間、陸続きで多くの民族が国境を接して、移動も交流も激しく行われてきたヨーロッパや、その遺伝子を受け継ぐ、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの各国と、単一民族で海に囲まれて国境がはっきりしていて、外国からの侵入も極めてまれだった日本では、多様性への感性がまるで違うでしょう。欧米人は個人主義が発達していると言われます。個人主義は多義的な単語とは言われるので、意味はシチュエーションで異なりますが、私の印象では、欧米人の個人主義は、メディアや政府や他人を盲目的には信用せずに、自分の大事な最小単位のグループ(自分、家族、親族)重視で自分たちだけでもよく生きようとするという考え方と思っています。それに対して、単一民族で同質性の高い日本人が多様性を受け入れる、慣れるといってもたかが知れています。せいぜい、自分と違う考え方、生き方を素直に認めてあげる程度のものでしょう。しかし、日本人はこれから個人主義を強めていかないと生き残れないと思われます。日本における多様性というのは、特に、外国からの様々な価値を受け入れ、外国人の流入も激しくなることで最も強力に推し進められると思います。それは、世界が、日本独自の道を行くことを許容してくれそうもないし、そうなると日本は、政府がこれを推し進めるうえで日本人の意思を封じ込めるために、これからも国民をだまし、搾取し、見殺しにしてゆくことになるからです。旧来のメディアは存続できればですが、変わらずに国民のための報道はせずに、外国のための報道をするでしょう。つまり、政府や行政やメディアを信じることはできません。政府やメディアというのは日本に限らず世界でもそうなので、これは普遍的なことなのです。これまでは日本人がそれに気づく術がなかったので気づかなかっただけで、現状も日本国内では、そのような状態になっているのです。しかし、これからは、情報は自分から取りに行けるので、適切に情報をとり、自分たちで考え、自分の大切な仲間と最善の道を探して行動していかないと貧しくなるどころか命も軽々しく奪われてしまうことになります。これを避けるために個人主義で生きていかなくてはいけないのです。
今、世界の注目を浴びているロシアのウクライナ進攻。ロシアが過去の歴史でどんなに酷い悪いことをしてきたのかよく知らないのですが、私は、ロシアは虐められすぎと思っています。ウクライナ進攻、ウクライナ人の殺害は正当化できるものではないですが、同じようにロシア人も過去も現在も、何らかの形で人権を無視され、殺害までされています。ロシア革命でのロシア人の犠牲者は何千万人だったかと思います。日本もロシアには過去に正当化できない行為をされていて今も影響が続いていますが、その責任は、一般ロシア人すべてが負うわけではないのです。一般ロシア人を迫害するもの、ロシアの世界での動きを駆り立てているものは背後にいるかもしれません。世界では正確に何が起きているかを知ることはできないでしょう。そうであるのでロシアは被害者である可能性も否定できません。今回の騒動の中でも、当事者たるウクライナ人やロシア人は個人主義で持って、必死で自分たちの世界を守ろうとしていると思います。
私は本心では日本らしさを今後もずっと続けたいという願いをもっていますが、世界の力に押されてそれができないのであれば、日本民族が個々にでも生き残るために、各人が個人主義でもって生き抜いていってほしいと思っています。
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